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レジャー特集 のんびり岐阜まちなか歩き
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戦国時代の女性 帰蝶

濃姫の墓
'09/06/24
「帰蝶」織田信長公の正室です、「濃姫」と呼ばれていました。

斎藤道三公の娘で、織田信長公に嫁いでいったことは分かっているのですが、何せ400年以上前のことで、信長公の正室でありながら現在発見されている文献にほとんど登場していません。
少ない情報ですので、現在描かれている濃姫は、その作者の憶測や逸話によるところが多いです。

特に映画やテレビドラマで演じている女優さんのイメージになってしまうところが多いですね。

濃姫の墓なる物が、岐阜市にあります。
京都本能寺の変の時、織田信長公と共に討死にし家臣の一人が濃姫の遺髪を持ってこの地に埋葬した、と伝われています。
その家臣が誰かも分かっていません。

また、京都の総見院(そうけんいん)にも濃姫の墓なるものもあります。
このお寺は、本能寺の変で亡くなった信長公を祀るために、豊臣秀吉が建立した寺でその中にも濃姫の墓碑があります。
没年は1612年となっていて信長公の死後30年生きていたことになりますが、その間のことはまったく不明です。


濃姫、美濃の姫様ということでそう呼ばれていたと思います。
生母は小見の方(明智光継の娘)で本能寺の変の首謀者明智光秀とはいとこの関係にあります。
幼馴染みの二人は将来を誓い合いましたが、道三が嫌がる帰蝶を政略結婚で信長に嫁がせた、以来信長への憎悪が光秀の中にあり反逆へ向かった、と憶測をよぶ逸話もあります。
政略結婚には間違いはないですが、二人の関係は実際どうかは分かっていません。

岐阜城にある濃姫の絵(写真)のところに、信長の智恵を上まわる智恵者と書かれています。
濃姫が織田家に嫁いでいく時、道三公は帰蝶に一ふりの懐刀を与えたといいます「信長はうつけ者との評判である、まことうつけ者であったならばこの刀で刺せ。」
そう言った道三に対し帰蝶はこう答えた、「承知しました、ですがこの刀、父上を刺す刀になるやもしれませぬ。」
道三公と帰蝶の性格や気持ちが伺えるエピソードでありますが、これも憶測による逸話で物語によるイメージが強いですね。

道三公が尾張に送ったスパイだとか、いろんなエピソードがあるとおりに信長公を支えた等とか、2分する憶測が飛び交っていますが、それを立証する資料がないためいろんな想像がかき立てられるのでしょう。

そんな戦国時代の不思議な女性、濃姫の足跡を信長公の足跡と共に訪ねてみてください。
分かってないから足跡がないかも知れませんけど(笑)

濃姫の墓は岐阜市不動町にあります、西別院近くです。
 
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