レッツぎふ HOMEレジャーのんびり岐阜まちなか歩き>のんびり岐阜まちなか歩き詳細
レジャー特集 のんびり岐阜まちなか歩き
※取材時と内容が変更になっている場合がありますので、お出掛けの前に、詳細は電話にてご確認ください。

岐阜城の守護四仏-③

善光寺 安乗院
'10/04/12
四仏の4つ目は善光寺です。

善光寺と言えば信州善光寺です、何故岐阜に善光寺が?と思われる方も多いと思います。

日本最古の霊仏・一光三尊阿弥陀如来様(善光寺仏)をお祀りする信州善光寺の歴史は、約1400年を経て今日に伝えられています、戦国時代44年間御本佛様は信州善光寺を留守にしていました。

その戦国時代、川中島の合戦の時善光寺の焼失を恐れ武田信玄が甲斐に御本佛をはじめ宝類を移しました。

その後武田信玄が滅亡したのち、織田信長公がこの地にお招きしたのが始まりです。

しかし本能寺の変で信長公は討たれ、その後御本佛は信長公の次男によって愛知の甚目寺に移され、徳川家康によって浜松鴨江寺、甲斐善光寺に移され、豊臣秀吉によって京都方広寺に迎えられますが秀吉の死後信州善光寺に帰りました。

信長公が岐阜城に入った時、城下町を整備するため多くの商工業者を招き住まわせ、また、寺院なども移転させました。
特に信長公がこの地に善光寺の御本佛を招き入れ、小熊の地蔵・西野の不動・美江寺の観音と共に岐阜町の四方を守らせました。
これも信長公の町作りだったのでしょう。

信長公時代に信州善光寺御本佛がお祀りされていたこの伊奈波の霊跡に、信長公の嫡孫織田秀信は、善光寺堂を建立し信州善光寺如来様の御分身をお祀りされました。

それを安乗院と満願寺によって護持されて来たのですが、明治の廃物棄釈・神仏分離によって伊奈波神社の別当であった満願寺は廃寺となり、その後は安乗院が単独でお守りするようになったのです。

安乗院は起源は1570~1572年で御本佛を迎えた1582年にはこの地にありました。
その後、濃尾震災の時消失、当時の住職によって御本尊は消失は免れました。
現在の本堂は、大正元年に再建されましたが、その歴史を知る資料はなくなっています。

平成21年に御開帳が行われました、ここの資料が無くなって明治以降の御開帳が、何時行われ何回行われたのかは不明でありますが、平成21年度のは戦後初めてなのは確かだそうです。

本堂には本尊善光寺如来(秘仏)が祀られています、向かって右側に弘法大師、左側に不動明王が祀られています。

境内には末光稲荷大神や大黒天、水子地蔵尊などのほこらや石像があります。
善光寺安乗院は伊奈波の善光寺として宗派を越えて親しまれているそうです。

場所は前回レポートした伊奈波神社へ行く参道の手前に位置します。

伊奈波地区も散策して面白い所があります、まち歩きの途中にも善光寺に寄られてはいかがでしょうか。
善光寺はは岐阜駅よりバスで岐阜公園ながら橋方面行きで約10分、「伊奈波通り」下車徒歩5分です。
 
※コメントの閲覧&書込みには無料の会員登録が必要です。会員登録はこちらから
「のんびり岐阜まちなか歩き」 を案内します、チャラヒです。

岐阜のまちをのんびり歩いて楽しんでいただける、観光名所・岐阜のグルメスポットを普通のおじさんの目から案内します。

岐阜は海がないですが、その他は何でもあります。
岐阜に住んでいながら、未だ知らない新しい発見。
岐阜を訪れた方に、有名な所だけでなく、こんな所もありこんなものもある、知らなかった岐阜を発見する。
日本の真ん中にあり歴史を語るにも重要な位置にあります、道三や信長の足跡をたどる戦国の道。
松尾芭蕉・川端康成等に関係する文学の道など、意外な所が発見出来るかも知れません。
岐阜出身の有名著名人の足跡をたどるのも面白いかも知れません。

そんなような お手伝い おもてなし が出来るようなページだったら良いな、と思っています。

まだまだ、素人の案内人ですので知らないことが山とありますので、皆さんが持っている情報も教えて下さい。
岐阜のグルメなどは独断と偏見が入ります、「いや、おかしい」「これとちがうか」など、ありましたら遠慮無しに書き込んで下さい。

この案内を参考にみなさんも、のんびり岐阜のまちを歩いてみませんか。

携帯での書き込みは出来ませんので、携帯より書き込みを行いたい方は、このレポートと連動しているコミュニティ「岐阜まちなか歩き(裏)」が在りますので、そちらよりお願いします。
新着コメント一覧
▲このページの先頭へ戻る