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レジャー特集 のんびり岐阜まちなか歩き
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屋根の上の猿

美濃六庚申堂
'10/10/08
この庚申堂は、川原町の中にあって伝燈護国寺の跡地とされる。
伝燈護国寺は、斎藤義龍が永禄3年(1560)に、京都の妙心寺から僧・別伝を招いて建てたといわれています。

義龍は、その当時勢力を増しつつあった禅宗寺院を抑えようと、禅宗の中心寺院だった瑞龍寺(座禅の教え「瑞龍寺」参照・前レポート)から、この寺に統制権を移そうとした。
しかし、禅僧の快川紹喜(心頭滅却すれば火自ずから涼し参照・前レポート)らによる「別伝の乱」が起き、翌年義龍が亡くなり反乱も治まり、この寺は廃寺となりました。

その後の延宝年間(1763~1681年)に再興され、「井口山東伝寺」と称されました。
庚申信仰が普及し、町の人々から「庚申堂」と呼ばれ親しまれ、現在の美濃六庚申堂に至りました。

庚申堂とは庚申信仰に基づいて建立される仏堂のひとつ。

庚申信仰、庚申講とは、人間には生まれた時から胎内に三尸(さんし)と言う悪い蟲がいて、その人間の悪行を四六時中監視していると言われてます。
それが庚申の日、身体を出て天に昇り、その宿主の悪い行いを天帝に告げ口しに行くのであります。
その告げ口のせいで、人間の寿命が縮められてしまうと信じられていました。

三尸とは、人の身体の頭(上尸)、内臓(中尸)、下半身(下尸)に一匹ずつの蟲です。
天帝から命を受けて人体に棲息していて、それぞれが持つ巻物にはその人間の悪事が、詳細残らず記されているそうです。

庚申の日に当たる夜に三尸が体から出ていかないように、徹夜して起きている習慣が奈良時代頃から行われていました。
一人で起きていることは難しく、人が集まって会食・歓談・酒宴などをしながら、皆で眠らず夜を過ごしました。

この集まりを「講」と言い、夜を過ごすことを「庚申待ち」と言います。

初めは、貴族などの上流階級で盛んに行われていましたが、江戸時代になると庶民の間にも広がってきて、全国に庚申塔や庚申塚が全国に出来たそうです。

美濃六庚申堂となっていますが、その三礼所が岐阜城下に有りました。
この庚申堂の南東に般若寺、その南に地蔵禅寺です。

ご本尊は、青面金剛像、守護神帝釈天の使者として祀られています。
その下に、三猿がいて申が猿と結びついたものといわれます、これから神道の猿田彦命も祀られています。
また猿が庚申の使いとされ、庚申塔には「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿が彫られることが多かった。

庚申堂の屋根を見ていただくと、猿が居ます。
中にも三猿がありますが、普段は見られないと思います。
庚申日などのお問い合わせは、美江寺観音(058-262-6793)となっています。

川原町の散策の途中に猿を見つけに行って下さい。
 
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