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レジャー特集 のんびり岐阜まちなか歩き
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設計図の無い船造り

岐阜市鵜飼観覧船造船所
'11/10/15
鵜飼観覧に使われる木造観覧船は、ここ岐阜市鵜飼観覧船造船所にて専門の大工によって建造されています。

長良川における観覧船は、鵜飼見物の際に利用する屋根付きの船として江戸時代後期から一般に広まったと考えられています。
明治21年(1888)鵜飼観覧を主とする遊船業者によって長良遊船組合が結成され、この頃から組織的な観覧船事業が始まりました。
その後事業主体は移り変わりますが、昭和2年(1927)に岐阜市直営事業となり現在に至ります。

その際、観覧船の新造・補修のために専属の舟大工を雇ったことが、岐阜市鵜飼観覧船造船所のはじまりといわれています。

観覧船は立板形と呼ぶ形式の川船で、板材には高野槙を使い、モジと呼ぶ道具であけた釘穴に船釘を打ち込んで組み立てます。

また、シキイタ(敷板=船底の板)は立てて組み立てた後、バン(盤)に載せ、重石を置いて反り(ソリ)をつけます。
これらは長良川流域の舟大工と共通する造船技術です。

一方、鵜飼舟や漁舟と比較して、
 ①最大で全長12メートル前後、30人乗りの大型の船を建造すること
 ②乗船客用に「屋形」と呼ぶ屋根を、柱を建てて載せること
が大きく異なります。

そのため、船体には幅が広く厚い板材を用い、シキイタを組む際はヒラクギ(平釘)を使います。
また、屋形の柱を立てるためにハリギ(梁木)を前後に2本渡し、客室部分の浸水を防ぐためにミズドメ(水止め)の板を設置するなど、独自の造船技術をみることが出来ます。

これらは、かつて長良川流域でみられた、荷舟など大型の川船を作る技術に、観覧船の屋形を載せるための技術が加わり発達したものと考えられます。
(造船所内案内看板記載参照)

船の材質となる木は高野槇(コウヤマキ)スギ科の常緑樹です。
悠仁親王(ひさひとしんのう)秋篠宮 文仁親王と同妃紀子の第一男子のお印が高野槇です。

高野槇は天然木で植林はされていません、長さ5メートル間口40センチ以上の木をよく調査して購入します。
皮むき製材をし乾燥させます、1本の木から板材は8枚しか取れません、乾燥は1年かかります。

そしてここから5ヶ月かけて1艘の観覧船を作っていきます。
鉋をかけ板に反りをかけ船の形にしていきます、4トンジャッキや重しを乗せて固定して1ヶ月から1ヶ月半もその形のままにします。

反りに合わせて船材を打ち付け船体を着けます、船釘を打ち込み破材で溝を埋めます、船体内部を固定するため重りは乗せたままです。

船をひっくり返し、船底の補強をします。
船底の凹凸を無くし、樹脂を塗りガラス繊維のマットを1枚1枚貼ります。
これは長良川の川石に当たって船の損傷を無くすために補強をします。

そして水が入らないように仕上げをして、手すりや屋形を着けます。
この行程の設計図がありません、大工さんの頭の中で受け継がれて行っている技術です。

鵜飼観覧造船所は岐阜公園日中友好庭園東入口前にあります。
 
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