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レジャー特集 のんびり岐阜まちなか歩き
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ぎふ七福神 龍雲寺

龍雲寺
'12/12/15
岐阜長良川、清流のほとり皆様の願いを成就する七体の福神様がいます、お参りしてはいかがでしょうか。

七福神の一体、毘沙門天「びしゃもんてん」が祭られています。
毘沙門天は、身に甲冑を着け手には槍を持っています、その勇ましい姿から想像がつくように軍神・武神です。
仏教における天部の仏神で、持国天・増長天・広目天と共に四天王の一尊に数えられています。
また四天王としてだけでなく、中央アジア、中国など日本以外の広い地域でも、独尊として信仰の対象となっており様々な呼び方があります。

毘沙門天は、お釈迦様の道場でいつも説法を聞いていたことから、「多聞天」とも呼ばれています。
財を授けるというその功徳から施財天ともよばれました、さらには戦勝を祈願する神様としてもあがめられました。
日本に伝わってからは、戦勝祈願や仏教守護という性質から、国土守護の軍神として多くの武将の間でも信仰されるようになりました。

さて、毘沙門天と聞いて頭に浮かんだのが上杉謙信です。
国土守護の神様として武将の間で信仰されるようになったこの毘沙門天を、上杉謙信が毘沙門天を守護神としてあがめたのはとても有名な話で、彼はその戦上手と守護神が毘沙門天であることから、「毘沙門天の申し子」とまで言われていましたよね。

龍雲寺の毘沙門天の由来は、大正末期のある夜海門和尚の夢枕に奈良信貴山の毘沙門天が立ち、「龍雲寺の脇陣として、人々に知力を与え商売繁盛・家運繁栄を祈らん」とお告げがありました。
和尚は東奔西走して寺の東に毘沙門堂を建て、県内唯一の信貴山の分身を迎えました。
最初は霊験法力にあやかり参拝者が絶えず賑わっていましたが、戦後の混乱で参拝者も途絶えお堂もなくなってしまいました。
現在は、本堂の脇に立ち人々の願いをかなえています。

宗派は曹洞宗、建立は永禄2年(1559)本尊は大日如来。
元々は真言宗高野山の末寺として芥見北山にありました、岐阜城落城の際の戦火で荒れ果ててしまいましたが、関の龍泰寺から長霊和尚が来て曹洞宗の寺として復興したそうです。

ここで一番古いのが、大梵鐘がある山門、名作の誉れもあった鐘も古かったですが戦時中に供出して、現在のは戦後のものです。

毘沙門天は知恵と勝利の福神様、必勝祈願・商売繁盛・厄除祈願・家内安全の御利益があります。

七福神御祈祷の大祭日は4月3日でした。

岐阜市芥見大船交差点を西へ、そして北側の山側です。
 
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