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レジャー特集 のんびり岐阜まちなか歩き
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森の中の信長公ゆかりの神社

武芸八幡宮
'15/01/05
創建は養老元年(717)泰澄大師が、大碓命(おおうすのみこ)を祀ったのが始まりです。
大碓命(大碓皇子)は、父景行天皇の命令を受けて国造りとしてこの地方を治められた方です。
美濃の美しい娘を妃にしたと伝えられますが、この地で亡くなられると八幡山に葬られました。
その後いつの頃から、応神天皇を神として今日に至っているそうです。

観応二年(1351)森蘭丸の祖先にあたる森又太郎源泰朝が社殿を再興し、その後も森家との繋がりも深かったそうです。
蘭丸の父、森可成の書状も保存されています。

織田信長公が岐阜入城し、人心を治め経済の繁栄を図るため楽市楽座を設けたり、主な神社に禁制や安堵状を与えました。
武芸八幡宮もその一つです、岐阜城から丑寅(艮)といって北東の方角に当たり、鬼門鎮護として重要な位置を占めていたからです。

織田信長公が武芸八幡宮の安堵状を出したのは、永禄十年(1567)十月のことでどの神社よりも早く届けたそうです。
天正四年(1576)に信長公が安土城へ移ると、嫡男信忠に岐阜城を譲り、信忠も信長公の意思を継ぎ武芸八幡宮に安堵状を与えています。

天正十年(1582)本能寺の変で、信長公信忠親子が最後をとげると岐阜城の実権は三男信孝へ移りました。
森蘭丸も本能寺で信長公を護りながら最後を遂げました。
信孝もこの神社へ安堵状を与えています。

このように信長公・蘭丸共にゆかりのある八幡宮らしく、八幡地区はいまでも小田野と言う字名が残っています。
信長公は毎年十月十五日に代参を八幡宮に送り、そのお迎えしたところの字名が織田野で、恐れ多いとして後に小田野に改めたそうです。

織田信長公・信忠・信孝と三人の安堵状が揃って残っているのは武芸八幡宮だけです。
信長公が岐阜入城し、まもなく450年(2017)ですが、その間織田家の栄光を武芸八幡宮が見守り続けているようです。

岐阜県指定重要文化財の八幡神社下馬標があります、織田信長公建立でここからは何人も馬や籠を降りる場所です。
その他、岐阜県指定天然記念物武芸八幡神社のスギ、関市指定無形文化財武芸八幡神楽などがあります。

岐阜バス「武芸八幡」バス停下車徒歩10分(社務所)、徒歩30分(本殿)くらい。
 
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