
大社長は徳川家康、娘は家康の長女亀姫。
徳川家康は誰もが聞いたことあると思います、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・戦国大名・天下人戦国時代に終止符を打ち、江戸幕府を開府し征夷大将軍です。

岐阜城が関ヶ原の戦いの後廃城となり、岐阜の南に加納藩が出来加納城主に奥平信昌が就いた、その正室が亀姫であります。
亀姫侍女十二相祠堂阯(かめひめじじょじゅうにそうしどうあと)はその姫のエピソードの一つです。
十二相祠堂跡(十二相神)、神と書かれた物もあり異説もあります。

侍女とは、身の回りをする女、腰元と言った方が分かりやすいですね。
我がまま娘で、自分の身の回りをしてくれる侍女を咎めて処刑してしまい、その後に祀ったのが十二相祠堂跡です。

ここで何に咎められた?のかと言う疑問が出ますが、全く不明だそうです。
加納藩田辺見聞録には、慶長十二丁未年(1607)加納様( 亀姫)の侍女、十二人一時に咎めに逢い、元和四戌午年(1618)この地に設社とだけ記載4されているそうです。
亀姫は生涯、信昌に一人も側室を置かせず、自身で4人の男子(家昌・家治・忠政・忠明)と1女(大久保忠常室)を儲けました。
その後宇都宮に移り、宇都宮城釣天井事件の後再び加納に戻り、寛永2年(1625)加納において66歳でなくなりました。
墓所は近くの光国寺にあり、また愛知県にもあります。

ここは個人宅の中にあり、入る時は許可を取って下さい。
名鉄岐阜駅より南東徒歩約10分の所にあります。

「のんびり岐阜まちなか歩き」 を案内します、チャラヒです。
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