
南宮大社(なんぐうたいしゃ)は、垂井町にある神社で旧称は南宮神社で式内社(名神大社)、旧社格は国幣大社で現在は神社本庁の別表神社となってます。
古く神話の時代に伊耶那美命(いざなみのみこと)が火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)をお生みになられた際に、お生まれになられた鉄鉱・鉱山を司る金山彦大神を主祭神として、相殿神に彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)、見野命(みののみこと)をお祀りしています。

生まれた姿が流鉄に似ていたことから、鉄鉱・鉱山にまつわる神として人々の崇敬を集めるようになり、現在でも南宮大社は金属の総本宮として全国の金属業・鉄鉱業・鍛冶の関係者から厚い信仰を集められているそうです。

金山彦大神(かなやまひこのかみ)は初代神武天皇東征の際、八咫烏(やたがらす)を助けて大いにお力を顕わし不破郡府中の地に、お祀りされることとなりました。
後に第十代崇神天皇の御代に現在の地に奉遷され、古くは仲山金山彦神社と称されましたが、国府から南方に位置するため南宮大社と言われる様になったと伝えられてます。

現在の建物は、慶長五年(1600)の関ケ原合戦により焼失したものを、寛永十九年(1642)春日の局の願いにより、三代将軍徳川家光が岡田善政を奉行として再建したものです。
この際に作成された文書が現在まで残されており、再建にかかった費用などが事細かに記された貴重な資料として国の重要文化財に指定されています。

その他本殿や幣殿・拝殿・高舞殿・楼門・石鳥居等数多くの重要文化財が有ります。
石鳥居は中山道垂井宿に有り、そこから南宮大社までの間に高さ21メートルの大鳥居があり、その場所は東海道新幹線沿いです。

南宮大社の境内を南門から出て、西に進んだところに南宮稲荷神社があります、京都の伏見稲荷のように朱塗りの鳥居が並んでいます、大社の賑わいと違いほとんど人が歩いていないので静かな参道となっています。

主な祭事は2月に節分祭、南宮大社の広庭で裏に鬼と書かれた直径160センチの大的に、神職が12本の矢を射かけ魔除けと五穀豊穣を祈る行事です、これは大的神事とも呼ばれています。
平将門の乱のとき、将門の怨霊の首が火を吹いて京の方角へ飛んだところ、その首を南宮大社の隼人社のご祭神・隼人神(火須勢理命)が、矢竹で射落としたという伝説にちなんだ祭事で、隼人社の前には今も矢竹が生えています。

4月に高山社祭、5月に御田植祭と例大祭、例大祭として神幸式と蛇山神事が行われます、神輿は3基、南宮大社から御旅神社に神々をお運びする行事です。
御旅神社にて一連の神事をおこない、再び南宮大社に戻ります、一番大きなお祭りとして、多くの方々が参拝に来られます。

6月に夏越の大祓式(茅の輪くぐり)、11月に金山大祭金属の神をまつる南宮大社ならではの特別なお祭りで、通称鞴(ふいご)祭りとも呼ばれてます。
古くから伝わる刃物の鍛錬式が行われます、全国から金属にまつわる業者が参拝に訪れ、当日は大変な賑わいます。

東海道本線垂井駅から南方向へ徒歩約20分。


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