伊波乃西神社
岐阜市のこの辺りから各務原市にかけて、神話の世界が広がる古墳などが多くあります。
岐阜市にシンボル金華山に関連する伊奈波神社や金神社・橿森神社などもレポートしたとおりです。
伊波乃西神社(いわのにしじんじゃ)も歴史のある神社です。
由緒由来は神社庁の記載より、勧請年月は不詳である。
延喜式神名帳に「美濃国各務郡七社の内、伊波乃西神社」とある、清水山の山ふところ、檜の巨木数百本から成る美しい林に蔽われて鎮座する。
祭神日子坐王は、人皇第九代開化天皇の皇子で、伊奈波神社の祭神、丹波道主命の父君にあたらせられる。
古事記中巻、水垣宮の段(崇神天皇の御代)によれば「日子坐王をば、旦波の国につかわして、玖賀耳の御笠(クガミミノミカサ)を殺さしめ給いき」とある。
史上に表れた御勲功のはじめである、なお、クガミミとは、国神の義であって、旦波の国に国神ミカサが住んでいたのである。
王は、その後、勅命により東日本統治の大任をおび、美濃国各務郡岩田に下り、治山治水に着手され且農耕の業をすすめられ、殖産興業につくされた。
八瓜入日子王(ヤツリイリヒコノミコ)は、日子坐王の皇子である、神大根王(カムオオネノミコ)と申し上げ、父君の後をつがれて、この地方の開発に功が多かった。
日子坐王薨去の後、御陵を清水山の中腹に築かれた、当社の西に隣接している。
明治8年12月に至り、日子坐王陵と確認されたので、宮内省陵墓寮の所管に移された。
御陵墓祭は、3月21日であるが、毎年10月11日には、滋賀県木之本町の老若男女数10名が観光バスを連ねて参拝する。
これは、その地に日子坐王をはじめ、御一族数柱を祭神とする神社がある為、10月10日例祭の後御陵参拝を行事としているからに他ならない。
とあります。
祭神は、日子坐王と八瓜入日子王です。
第9代天皇と言うのは、開化天皇です天照大神からきて初代が神武天皇です、神話の中から出てくる名前ですね。
日子坐命墓(ひこいますのみことのはか)が由緒由来にも書いてありますように隣接してあります。
少し山を登るような場所です。
岐阜バス岩田バス停下車徒歩約15分位のところにあります。

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